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アラビヤの先代(高坂光明)がエリート将校から一転、珈琲人生をスタートさせたのは1951年2月9日(25才)。 珈琲がまだ特権階級者の贅沢な飲み物で、かろうじて庶民が口に出来る珈琲は、出がらしの豆を煮詰めた物であったとか。当時は濃い珈琲の全盛で、店の味を「薄い」と文句をいう客もあったが、絶対に譲らなかった先代はケンカすることもしばしば。でも本物至上主義の先代の選択は、現在も二代目(明郎)へと受け継がれ珈琲党に「うまい!珈琲」と言わしめる。 ![]() |
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![]() ![]() 珈琲の達人は、人生を楽しむ達人でもあった。 プロ野球選手を目指したが、ちょっと背が低めだった為に断念。 スキー・ゴルフと体を動かすことが大好きだったが、芸術的な一面も。
店内にかかる見事な木彫りのレリーフは全て手作りで、キャッチコピーも自作。愉しみがあふれる店内は、クラシカルで落ち着いた雰囲気の中にもどこか人懐っこい気配が漂う。 |
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![]() ![]() 野球の腕もプロ級だった光明だが、奥さんは正真正銘のプロ野球選手。昭和25年〜30年頃まで女子プロ野球があったことはあまり知られていないが、彼女は当時の花形選手で新聞各紙を賑わせたアイドルだった!心斎橋そごうのデパガ兼選手として活躍していたとき、先代と出会って結婚。
重機(先代の弟)によれば「兄貴がそごうに通ったんちゃいまっか」とか。 |
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二代目の明郎は中学時代から店で、アルバイト。「一度も店を継げなんて親父が言ったことはないけど、継ぐのがあたり前やと思ってたし何の迷いもなかったなぁ」と、柔らかな話口調で振り返る。 今的流行カフェに迎合する気はないが、ただ古いだけではダメと新しいメニューも考案。芯が真面目なのは先代譲りだ。ある日、テーブルにメモが2枚。10年前夫婦で店を訪れ、ご主人が亡くなってから再訪した奥さんが、感謝の気持ちを綴ったものだった。「あれを見たときうれしかったネ!頑張らなあかんわ」 ![]() |
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![]() ![]() 皆様方の日頃のご愛顧により2001年2月9日で 50周年を迎えることが出来ましたことを 深く感謝し厚く御礼申し上げます。
今後、「めいっぱい働き、でも人生は愉しく。」を
有限会社アラビヤコーヒー |
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